


名古屋市の木造天守閣構想は問題山積でいつ実現するかわかりませんが、せめて模型でバーチャル天守閣探訪を試みようと思います。
こんな天守閣が有ったらいいな、という願望を一杯詰め込んでみます。
制作の参考にする図面は、名古屋城総合事務所蔵「昭和実測図」を使います。
一般的に城の模型は外観だけで内部を見られるものはほとんど有りません。
今回作る天守閣模型は、5層を積み上げる構造で、各層の内部を上から眺められるように作ります。
1層から4層までは身舎(母屋)の部分を「江戸エリア」と「令和エリア」に分け、令和エリアは現在のコンクリート天守のように博物館的機能を持たせます。
以下の黄色く塗られた部分が令和エリアです。大きな黒い穴はエレベーターシャフトです。
江戸エリアは引き戸は全て取り払われていますが、令和エリアは綠色で塗られた部分の引き戸が閉め切られ、江戸エリアと令和エリアは行き来ができません。
ただ一カ所だけ、紫色の部分は引き戸が無く、江戸エリアと令和エリアの行き来が可能となっています。
基本構造は昭和実測図のとおりですが、エレベーター用の大きな穴とこの部分の梁が無い事だけが違います。
柱は1本も省略せず、一つの部屋を分割する事も有りません。
城マニアの人で天守閣内でエレベーターなんか見たくないと言う人は、令和エリアを全く見る事なく観覧する事ができます。
江戸エリアを観覧中にトイレに行きたくなったり、真夏の猛暑での観覧で熱中症になりそうになった時は、紫色の出入り口から令和エリアに入り、エアコンの効いた部屋で休んだり自動販売機で経口補水液を買う事も可能です。
一層

前回作った模型は軸組模型でした。
中の部屋まで図面どおりに忠実に作成してあるのですが、太い柱や密集した屋根材に遮られて中がよく見えません。
今回の模型は各層を分離して内部が見られるタイプにします。
重箱のように5層を積み上げます。
構造は軸組模型と同様で、縮尺も同じ82分の1です。
身舎(母屋)と呼ばれる部屋の周りを入側(武者走り)がぐるりと取り囲む構造になっています。
では、作成開始です。
床材として、4ミリ厚のシナベニヤを使います。3ミリでも良かったのですが、あいにく4ミリしか有りませんでした。
昭和実測図のとおりに鉛筆で敷居の線を引きます。
敷居は2ミリ幅、厚さ1ミリのヒノキ棒を1ミリの間隔を空けて2本平行に床板に貼り付けます。
曲がらないように3ミリ厚のアクリル板をガイドにしてまず1本貼り付け、厚さ1ミリのアクリル板を挟んでもう1本を貼り付けます。
柱が立つ部分5ミリの幅を除いて1ミリ角のヒノキ棒を2本の棒の間に貼り付けます。
1層目の敷居が完成しました。
5ミリ幅の穴は柱を立てる時のホゾ穴になります。

ここに入会して戸惑われることが多いような、ファイルのダウンロードの仕方を動画にしてみました。
もし役に立つようなら皆さんのご意見をお伺いして完成版を作ってみようかなと思うのですが…
(ごめんなさい、動画が小さすぎてそのままではうまく見えません。右下の『全画面』を押して見てくださいm(__)m)

木造天守閣の第二弾を計画しています。
一昨年に作った天守閣は軸組模型でしたが、今度はリアルさを追求してみます。
完成イメージは、天守閣内に展示されていた模型をお手本にします。
形だけの張りぼてでは無く、中身がぎっしり詰まったものを計画しています。
サイズは一昨年に作った軸組モデルと同じ82分の1で、室内はヒノキ棒、壁や屋根はスチロールボード等で作ります。
細部の作りを調べるために軸組モデルを見ていましたが、窓が窓に見えないので取り去る事にしました。
ちょっとすっきりして内部の柱や階段も見えるようになりました。

今年は暖かいせいか、イチョウの黄葉も少し遅めです。
マンションの北側の桜の並木は、ほとんど葉を落としていますが、南側のイチョウは、これから葉を散らし始めます。
高さが6階のあたりまできている大銀杏。
数年前に大剪定をして、次の年は哀れな姿で、ギンナンもなりませんでした。
その次の年は、わずかばかり実をつけ、去年は普通、今年は大豊作でした。
黄色というより、少しオレンジ色かがってきて、まさに、秋たけなわ。

5階の屋根が完成しました。
大棟の上に金鯱を乗せれば完成です。
鯱は姿は魚で頭は虎、大棟の両端に取り付けられ、天守の守り神となっています。
天守が火事の際は口から水を噴きだし火を消すとされています。
夫婦一対で、北側が雄で南側が雌です。
雄の方が少し大きく、口の開きが少し大きめです。
創建時に使われていた金は、慶長大判にして1,940枚分、純金量に換算すると218kgに相当します。
尾張藩の財政難の時にはこの金が使われ、代わりに純度を落とした金が貼り付けられました。
これが3度繰り返されました。現在は18金の金板が88kgで、純金量換算で66kgしか有りません。
この実測図や写真を撮るために足場が組まれていたのですが、この足場を利用して金の鱗58枚が盗まれています。
その後金鯱はどうなったかと言うと、戦災で天守閣が焼失した後、6.6キロだけ溶解状態で焼跡から発見され、金の茶釜と名古屋市旗の傘頭に作り直されています。
ですから現在の金鯱には元々の金鯱の金は使われていません。
名古屋城総合事務所所蔵
細工が細かくなると木の端からポロポロと崩れてしまうので、ヒノキ材で作るのは断念、既製品を使う事にしました。
海洋堂製のフィギュアです。さすが海洋堂、細工が細かいです。
サイズは若干小さめです。
エポキシ系接着剤でくっつけます。
金ピカで無いのでヒノキ材とマッチしています。
完成です。
東面
石垣は詳細な図面が入手できたら考えてみたいと思います。

1階から4階までの窓は壁に穴が開いていて格子がはまっているだけですが、5階の窓は意匠が凝らされています。
まず窓を作ります。
いよいよ棟上げです。
棟持ち柱と母屋を乗せる柱を立てます。
本当は棟木を乗せてから屋根などを作って行くのですが、南面の破風板と北面の破風板の間隔が正確にわからないので、棟木と母屋を乗せるのは破風板を取り付けてからにします。
金城温古録には、2階から4階までは畳の数だけ書かれており、何も置かれていなかったと書かれています。
しかし、5階だけは特別で、詳細な記述が有ります。
どうやら5階は何らかの儀式に使われていたようです。
1階から4階までは天井が無く、梁が向きだしですが、5階は黒漆塗りの豪華な格天井が有ります。
5階は各部屋に部屋名が有り、階段の有る部屋が四の間、階段を出た所から反時計回りに三の間、二の間、一の間となっています。
部屋と部屋の仕切りは無く、素通しで有ったと書かれています。
一の間には大・中・小の櫃(箱)が置かれていました。中身は不明です。
二の間には御祓い棚が長押の上に設けられており、尾張三社の御祓箱が置かれていたようです。
三の間には、御天守見通絵図、御天守方角板、遠眼鏡などが置かれていました。
四の間には御用人が着席するとあります。
遠眼鏡が有ると言う事は、5階の窓は展望窓で、藩主はここから城下を展望していたと言うことですね。
入側(武者走り)には東西南北に各一つずつ窓台が置いて有りました。
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