試練の時

 ニフティは千を超えるフォーラムを持ち、その中の一つのフォーラムであるFEYEは会員数1万人を超えていました。膨大な数の人たちが集まってきますので、中には困った人たちもいます。いわゆる「荒らし」と言われる連中です。

 何かをまじめに議論する場には必ず意見の相違が生じるものですが、そういう場に現れ、議論をふっかけるのです。まじめな議論なら歓迎なのですが、単に相手を怒らせるだけを楽しみにして参加してくる人も多いのです。誹謗中傷に満ちた汚い言葉は、見ているだけで気分が悪くなるものでした。

 FEYEでは2点の議論について、このやっかいな連中が介入してきました。一つは点字データの著作権の問題、もう一つはボランティア論議です。

 点字は著作権法第37条で、著者の許諾を得ずに出版物の点訳をして良い事になっています。しかし、点字データはどうか?

 ご存じのように、点字データは点字印刷する事を目的に作られており、そのまま読む事はできません。ですから、これは点字と同じものと言う考えで私たちは扱ってきました。しかし、点字データは点訳エディタの画面で仮名文字表示をさせる事ができるわけで、これは晴眼者でも読めるので点字には当たらないと主張する人もいます。 点訳エディタが無いと読めない、しかも平仮名でしか読めないものをあえて晴眼者が読むだろうか?と言う主張も有りましたが、反対派は頑として著作権法違反を唱え、データライブラリに点字データを登録するのは違法行為だと主張しました。 こういう議論の中に荒らしの連中が入ってきたものですから、会議室は大混乱に陥ってしまいました。

 もう一つの議論は「点訳ボランティア」の件です。

 一般に点訳ボランティアと言うのは、どこかの点字図書館とか、点訳グループに所属しており、ある一定の技能を有した人を言います。例えば地元の点字図書館で点訳ボランティアをやりたいと思った場合、そこで開催されている講習を受けなければいけません。講習は普通は日中に行われるので、サラリーマンには無理です。また、講習は受けてみたけど途中で挫折する人も多く、終了まで到達する人は1、2割程度と聞きます。講習が終了しても、すぐに点訳できるわけでは無く、まだまだ修行の道は続くと言う事です。ですから、「私は点訳ボランティアをやっています」と言うレベルに到達するためには非常な努力と時間が必要なわけで、しかも、自分で点訳する本を選ぶ事ができません。「私は講習は受けた事が無いし、好きな本しか点訳しない」とでも言おうものなら、猛烈な反発に会うと言うわけです。

 最初はどちらの主張にも理が有るような状態で始まったものの、荒らしの連中には格好の材料。著作権問題とも合わさって、混乱はますます深まるばかり。特にリクエストを受け入れない態度には「盲人不在の点訳」と罵られ、汚い言葉を大量に投げつけられたものです。

 この荒らしはどこにでも出没するわけで、他のフォーラムも多かれ少なかれ被害を被っていました。対策は「無視を決めこむ」「相手にしない」なんですが、黙っていると、善良な参加者から「どうして反論しない?」「あんなひどい事を言われてなぜ黙っている?」「答えられないのは相手の言い分が正しいからだ」と言う発言が出るようになり、敵の思うつぼの状態になって混乱の度は深まっていくのです。

 なんとかスタッフの努力で混乱は沈静化しましたが、深い傷手を負ってしまいました。

 点字データのライブラリ登録については、まだ始まったばかりの点字データの扱いが法的にも未整備と言う事で、実験データとして扱う事になりました。後に著作権法が改正され、第37条に2項が追加され、この問題は解決しました。

 著作権法第37条第2項  公表された著作物については、電子計算機を用いて点字を処理する方式により、記録媒体に記録し、又は公衆送信(放送又は有線放送を除き、自動公衆送信の場合にあつては送信可能化を含む。)を行うことができる。

 注:「自動公衆送信」
 公衆の要求に応じて自動的に送信すること(例:インターネットのホームページ)

 わかりやすく書くと、

 公表された著作物を、点字データにして、フロッピーディスク等の記録媒体に保存したり、インターネットのホームページに登録して、自由にダウンロードしてもらうことについても、著作権者の了解なしに行うことができる。

 となります。

 点訳ボランティアの件については、点訳ボランティアの方の思いも充分理解できます。なんの苦労も無く、「私は点訳ボランティア」などと言うと、頭にカチンと来るでしょう。ですから、私たちは「ボランティア」と言う言葉は極力使わないようにしています。「点訳」も「リクエストを受けない自分勝手な点訳は点訳では無い」と言う人もいますから、「BASING」とか言っています。FEYE時代は「ぐるてん」と言っていましたが、今は「グループBASING」です。でも、言葉なんかどうだっていいんです。私たちはしっかりと「点訳」をしているのです。ただ、人を刺激しないようにしているだけなのです。

 どんな本を点訳したら良いか、リクエストが有る本だけ点訳するべきか、ということについて、ナビールさんに聞いて見た事が有ります。以下が答えです。

 私は、多くの点訳者が、自分で面白いと思ったもの、読んで欲しいと思ったもの、読んで感動したもの、点字であった方が良いと思うもの、を点訳すれば、点訳者の好みがそれぞれ違うように、読者の好みもそれぞれ違う訳ですから、バランスが取れて行くのだと思っています。

 読者に押し付けるのは良くないと思いますが、何かの切っ掛けで読んでみようかな、と読者が思った時に、その本があることが大切で、点訳した時にすぐ多くの読者が読まなくても、もっと永い目で考える方が良いのではないかと思っています。

 苦労して点訳したのだから、すぐに反応が欲しいという気持ちは分かりますが、それに重点を置くと、専門的な本などは、具体的なリクエストがない限り点訳しないことになり、読みたいと思ってから読めるまでに時間がかかり過るということも起こってきます。

 ひどい傷手を負ったFEYEですが、傷手のせいかどうかは定かでは有りませんが、衰退していく事になります。

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