天守台を作ります。
厚手の段ボールを貼り合わせて天守台を作ります。
段ボールは湾曲しないので、細かく折り目を作ります。
幅67センチ、奥行き61センチ、高さ23センチ。でかいです。
この形で作れるなら簡単なのですが、実際の天守台は四面が同じ高さではありません。
下の写真は先日名古屋城を訪れた時のものです。
空堀にかかる橋を渡り、表二ノ門をくぐると本丸です。
天守台の北面と西面は空掘の上に作られていますから、本丸とはかなりの高低差が有ります。
下の図は、名古屋城総合事務所蔵「昭和実測図」の名古屋城総図の一部に着色したものです。
綠色の部分が空堀、黄色の部分が本丸広場です。
赤く塗った部分は、本丸広場から大天守の口御門までの経路です。
天守台東面の端の方に不明門が有り、そこまでが本丸で、不明門をくぐり坂道を下ると天守台の裾に到着します。
天守台南面には橋台という、小天守からの通路が有ります。橋台の西側は空堀ですので、橋台の東側と西側では空堀の深さ分の高低差が有ります。
なお、空堀には江戸時代から鹿が暮らしています。
多い時には50頭以上いたそうですが、2012年には2頭にまで減りました。
写真は、先日表二ノ門前の橋から撮った鹿です。現在も2頭いるのか、この鹿だけになったのかは不明です。
1ミリ厚のスチレンボードにボールペンで石垣を描きます。
大まかに着色します。
最初に描いた石垣をボールペンでなぞっていきます。
4枚できあがりました。
色は大雑把に塗って有るだけですので、後で細かく塗り直します。
段ボールで作った天守台に貼り付けます。
角の部分はきっちりとは合いませんので、光硬化型パテで埋め、隅石のズレも塗り直して修正します。
隅石を塗り直しました。
口御門を作ります。
南面に口御門を取り付けます。
塗り残しの部分は、橋台の一部と不明門の一部、本丸広場の一部になります。
次は、その部分を作ります。
地階外側を石垣で囲みます。
初層を乗せてみて、開口部などがピッタリ合うか確認します。
石垣は湾曲しているので、曲線に合わせてカットしたバルサ材を用意します。
バルサ材は非常に柔らかく、カッターナイフで豆腐を切るような感覚で切る事ができます。
バルサ材を外壁に貼り付けます。
石垣部分は、厚さ1ミリのスチレンボードで作ります。
水をスプレーし、湾曲させてドライヤーの熱を当てます。
少し湾曲したスチレンボードをバルサ材の上に貼り付けます。
厚さ1ミリのスチレンボードを石垣の形に切り、薄いグレーの塗料を吹き付けます。
アクリル絵の具で石を描いていきます。
西面の石垣には、開口部を埋めた跡が有ります。
大天守西側にも小天守を作る計画が有ったようです。
小天守は作られる事は無く、小天守からの入り口も塞がれたようです。
塞いだ跡も描きます。
描き終わったスチレンボードを貼り付けます。
角の部分はどうしてもピッタリとは合いません。
多少の隙間ができるのですが、光硬化型パテで埋めます。
石垣の形にズレが生じていますが後で塗り直します。
光硬化型パテは太陽光やLED電球の光を当てると1分ほどで硬化します。
硬化した後は、カッターナイフやサンドペーパーで形を整える事ができます。
角の部分を塗り直しました。
石垣部分が完成しました。
初層を乗せてみて、不具合が無いか確認します。
これで地階から五層まで完成しました。
最後に金鯱を大棟に乗せます。
金鯱は海洋堂製のフィギュアです。サイズは若干小さめです。
外観はこれで完成です。
しかし、天守台(石垣)は一部分しか作ってないので、なんともバランスが悪く、おもちゃっぽく見えてしまいます。
やはり天守台は全部作りたいところですが、大きくなりすぎて置き場が有りません。
部屋に置いておくのは、このままの形で、別に写真撮影用の天守台を作ります。
天守台はこのような形をしています。
天守台の高さは約19メートル、その上の建屋の高さは約36メートルです。
今回の模型のサイズでは、天守台の高さは約23センチ、下部の一番広い部分の幅は67センチほどになります。
次は天守台を作ります。
石の数が多いので、かなり根気のいる作業になります。
地階を作ります。
昭和実測図です。
地階は、金城温古録では「御蔵之間」となっています。
礎石から80センチほど高い位置に床が作られており、「外ケ輪石垣」の中に埋もれた形になっています。
下の図のグレーの部分が「外ケ輪石垣」で、濃いグレーが土、薄いグレーが石垣です。
地階は作るつもりは無かったので材料は用意してありません。あり合わせのベニヤ板を使います。
昭和実測図を元に御蔵の間を描きます。
周りの石垣部分を5ミリ厚のベニヤ板で囲います。
御蔵之間部分をベニヤ板で作ります。
御蔵之間は礎石から80センチほど高い位置に作られているので、裏側に5ミリ厚のスチレンボードを2枚合わせて貼り付けます。
表面に1ミリ角のヒノキ棒で敷居を作ります。
あり合わせの板でかなり汚いのでオフホワイトの塗料を塗ります。
最初に作った板に貼りつけます。
敷居にホゾ穴を作ります。
ホゾ穴にピンを立て、両側を2ミリ厚の板ではさみ、ピンとピンの間を埋めます。
ピンを抜くと、敷居と全く同じ形の梁ができます。
敷居と梁の間に柱を立てます。
間仕切りを取り付けます。
御蔵之間の周囲に5ミリ厚のベニヤ板を貼ります。
明かり取りの格子窓と床板を作ります。
格子窓と床板を貼り付けました。
床板に横木がたくさん打ち付けられていますが、床が傾斜しているので滑り落ちないようにするためです。
格子窓から外光が取り入れられているイメージです。
格子窓近くの床に取り付ける揚戸開閉レバーを作り床板に貼り付けます。
外光を取り入れる仕組みは以下のとおりです。
外から見た外光取り入れのための装置です。縦型の雨戸ですね。
綠色の板は内側のロープを引くと上がる揚戸です。
黄色の部分が揚戸を上げると露出する格子窓です。
内側はこうなっています。
黄色い部分が格子窓、オレンジ色の部分が開閉レバーです。
開閉レバーにはロープがくくりつけられており、レバーを手前に倒すとロープが引っ張られ、外の揚戸を引っ張り上げます。
横から見た図です。
オレンジ色のレバーを手前に倒して床板に固定されています。
ロープが引っ張られ、揚戸が持ち上がっています。
レバーの固定を解除し、垂直に立てるとロープが緩み揚戸が下ります。
天守への入り口を作ります。
グレーに塗った手前部分は鉛の板が貼り付けられていました。
一段高くなった奥の部分と右側の部分は瓦が貼り付けられていました。
通路奥は緩やかな傾斜になっていて、石造りの階段を上がると御蔵之間です。
入り口には門が二つあります。
小天守から橋台という通路を通って最初に通るのが口御門、次に通るのが奥御門です。
口御門と奥御門の間の広場は「枡形」と言います。天守の中に枡形が有る珍しい形です。
口御門と奥御門を取り付け、外ケ輪石垣部分を2ミリ厚のシナベニヤで覆います。
井戸の井桁を作ります。
初層に有るものと同じ形ですが、初層のものより厚みが有ります。
井桁を取り付けます。
初層への階段を作ります。
左が表階段、右が御成階(おなりはしご)です。
表階段を取り付けます。
御成階を取り付けます。
寛永11年(1634年)に将軍徳川家光が来城の際に使用したためにこの名が付けられたとされています。
口御門から奥御門に至る枡形周囲の石垣を作ります。
天守内に石垣が露出しているのはここだけです。
枡形周囲に貼り付けます。
石垣の壁に3本の柱を立てます。
地階が完成しました。
外側はまだベニヤ板むき出しです。
次は外側を石垣で囲みます。
四層屋根の唐破風と千鳥破風を作ります。
シナベニヤを切り抜いて接着し、唐破風の破風板を作ります。
裏甲を付けて、屋根を貼ります。
塗装します。
スチレンボードとシナベニヤを千鳥破風の形に切り抜きます。
貼り合わせ、屋根を貼ります。
四層の千鳥破風には破風の間が無いので、窓も有りません。
塗装します。
唐破風を支える板を取り付けます。
棟木を立てる横木を取り付けます。
棟木になる板を取り付けます。
整形します。
千鳥破風はこのような形になります。
4カ所の破風板を取り付けました。
1ミリ厚のスチレンボードの野地板を貼ります。
棟木を塗装し、塗装した波板段ボールの屋根を貼ります。
千鳥破風に降り棟を取り付けます。
四層の屋根が完成しました。
五層を乗せてみました。
最初に作っておいた屋根を乗せます。
これで初層から五層までの外観が完成しましたが、せっかく精細な図面が提供されていることですから、地階も作る事にしました。次回は地階を作ります。
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