1階から4階までの窓は壁に穴が開いていて格子がはまっているだけですが、5階の窓は意匠が凝らされています。
まず窓を作ります。
いよいよ棟上げです。
棟持ち柱と母屋を乗せる柱を立てます。
本当は棟木を乗せてから屋根などを作って行くのですが、南面の破風板と北面の破風板の間隔が正確にわからないので、棟木と母屋を乗せるのは破風板を取り付けてからにします。
金城温古録には、2階から4階までは畳の数だけ書かれており、何も置かれていなかったと書かれています。
しかし、5階だけは特別で、詳細な記述が有ります。
どうやら5階は何らかの儀式に使われていたようです。
1階から4階までは天井が無く、梁が向きだしですが、5階は黒漆塗りの豪華な格天井が有ります。
5階は各部屋に部屋名が有り、階段の有る部屋が四の間、階段を出た所から反時計回りに三の間、二の間、一の間となっています。
部屋と部屋の仕切りは無く、素通しで有ったと書かれています。
一の間には大・中・小の櫃(箱)が置かれていました。中身は不明です。
二の間には御祓い棚が長押の上に設けられており、尾張三社の御祓箱が置かれていたようです。
三の間には、御天守見通絵図、御天守方角板、遠眼鏡などが置かれていました。
四の間には御用人が着席するとあります。
遠眼鏡が有ると言う事は、5階の窓は展望窓で、藩主はここから城下を展望していたと言うことですね。
入側(武者走り)には東西南北に各一つずつ窓台が置いて有りました。
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