東面・西面の大きな千鳥破風完成。
これで3階まで完成しました。
次は4階の屋根です。
軒桁を取り付け、屋根材を貼り付けていきます。
屋根材の長さが短くなってきたので母屋は有りません。
だんだん高くなってきて、立ち上がっての作業が多くなってきました。
カッターマット上でカット、立ち上がって取り付け具合確認、カッターマット上で微調整、立ち上がって接着という具合です。
いい運動になっていますが。
3階南面と北面の破風は千鳥破風に似ていますが入母屋破風です。
写真左が千鳥破風、右が入母屋破風です。
千鳥破風は屋根の裾が隅棟(南面の屋根と東面の屋根が接する部分)に届いていませんが、入母屋破風は裾が隅棟まで届いています。名古屋城の場合はそのまま伸びて3階の屋根の一部になっています。
破風の屋根のラインと3階の屋根のラインがずれないように作らなければなりません。
屋根材を貼って行きます。
破風板を取り付けます。
破風の屋根材を貼り付けます。
3階の屋根と破風の屋根に段差ができないように作ります。
東面と西面が貼り終わりました。
3階の屋根を支える母屋と軒桁を作ります。
屋根板の基部は4階の柱の根元に来るので、4階の外回りの柱を立てます。
4階武者走り上の梁を付けます。
5階の外回りの壁も作ってしまいました。
次は南面・北面の入母屋破風を作ります。
これはかなり難しそう。
天守閣内には37の部屋が有り、ほとんどは畳敷きの座敷です。
部屋の周囲四面はほとんどが引き戸で、まれに板壁が有ります。
これらの部屋は何に使われていたのでしょう?
金城温古録によると、ほとんど使われていなかった事がわかります。
藩主が天守閣内に入ったのは生涯を通じて数度と言う事です。
その際には何らかの儀式が有ったらしいと言う事は5階の説明を読むとわかります。
平時は天守閣は固く施錠されて封印紙が貼られています。鍵の管理は厳重を極め、城代家老が保管しています。最初は藩主が保管していましたが、参勤交代の時に不在になるので城代が保管するようになりました。
城代から鍵の入った箱(封印されている)を預かり解錠するのは御天守鍵奉行の役目です。
毎日、朝・昼・晩確実に施錠されている事を御本丸番の役人が確認します。
毎月6日と21日に天守閣の掃除を行います。
鍵奉行が解錠し、同心10人が天守閣内に入ります。
日頃使われていない所だし、広大な場所ですから、多分掃除はせず窓を開けて風を入れていただけと思われます。
2階の破風が全部完成しました。
これで2階まで完成です。
屋根板を張り付けるとせっかく作った内部がほとんど見えなくなりました。
まあ、見る事より作る事が楽しいので見えなくなっても問題無いのですが。
模型を作る際には昭和実測図を細かく確認しながら進めるのですが、金城温古録と言う本で当時の状況を想像するのも楽しみの一つです。
金城温古録は、文政年間に掃除中間頭本役・奥村得義が藩の命を受けて仕事の合間に記した名古屋城の記録です。
名古屋城大百科とも言うべき本で、各種手続きや習慣まで細かく記されています。
金城温古録の図面によると、1階はいろいろな部屋が有り、いろいろな物が置かれていたようです。
中央の大きな部屋は物置で、他が全て畳敷きなのにここだけは板張りです。調査時点では空き部屋であったということです。
左の方に水帳の間があり、地検帳の入った箱8棹が置かれていました。
図面右下は井桁の間と言われ、地階からの階段と2階への階段、刀架と流しが有ります。
地階の井戸の真上に流しが有り、天井に滑車が付いていて、1階でも水が汲めるようになっていました。
他の部屋は全て座敷で、周りはほとんどが引き戸ですが板壁になっている部分も有ります。
引き戸は、木製なのか、襖なのかは不明ですが、5階の部屋の説明で「御間内境、御襖無く、常に御四間透通しにて」と書かれていますから襖だったかも知れません。
武者走り(入側と言うそうです)には武具が置いて有りました。
調査当時には武具は置いて無く、目録の入った箱が置いて有ったようです。
2階から4階までの説明はほとんど無く、「此より上四重目までは御差置の品無之」と書かれていて、図面も畳の数しか書かれていません。
階段を上がって行っても空っぽの部屋ばかり見る事になります。
なお、畳は長辺が7尺(210センチ)の大京間畳です。
千鳥破風の屋根板を作ります。
かなり反っています。
ガイドを当てて、同間隔になるように張り付けていきます。
南面と北面の破風が完成しました。
次は、東面と西面の千鳥破風を破風の間の上に作ります。
同じ形の千鳥破風が2つ並んでいるので、比翼千鳥破風と言います。
破風は装飾のために設けられているように見えますが、大切な役割が有ります。
城には狭間と言う、弓や鉄砲で攻撃する穴が壁に開けられているのが一般的です。
狭間からの攻撃は大きな屋根が邪魔して、近くまで攻められると無力になります。
そこで、破風の中に部屋(破風の間)を作り屋根の軒先近くから直下の敵を攻撃できるようにしています。
なお、名古屋城天守閣の壁には多くの狭間が設けられているのですが、漆喰で埋められていて外からは狭間の有る事がわかりません。
戦になったら、漆喰が打ち抜かれ、狭間が現れます。
壁は45センチ厚の土壁で、中には厚さ12センチの欅の板が鎧状に設けられ、大砲でも撃ち抜けないくらい頑丈に作られていたそうです。
なお、2階の出窓も単なる飾りでは無く、床板が外せるようになっていて、直下の敵を攻撃できるようになっています。
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