二層の身舎(母屋)を作ります。
部屋の広さは一層と同じで286畳です。
黄色に塗られた部分が令和エリアとなります。
二層の柱を作ります。
二層は天井までの高さが一層のほぼ2倍有ります。
柱を立て終えたら上部に飛び出した芯材を切り落とします。
鴨居材を片側だけ貼り付けます。
間仕切りを貼り付け、鴨居材のもう片側を貼り付けます。
二層は天井までの高さが実寸で6メートル以上有りますので、令和部分は中二階を作ります。
3ミリ角の角材の受け木を4センチ程度の高さの所に貼り付けます。ここに透明アクリル板を乗せて中二階の床とします。
各階の高さは2.8メートル程度になります。
一層の上に重ねてみました。
とりあえず二層の作成はここまでで、次は三層の身舎(母屋)を作ります。
柱のへこんだ部分に鴨居を取り付けます。
まず鴨居材2枚のうち1枚を貼り付けます。
もう1枚も長さを調節して作っておきます。まだ接着はせず取り外しておきます。
間仕切り材を切り出します。
幅20ミリ、厚さ1ミリのヒノキ材と幅2ミリ、厚さ1ミリのヒノキ材を使います。
長い方は敷居から梁までの長さより1ミリ長く、短い方は鴨居下端から梁までの長さから1ミリ短く作ります。
柱と柱の間は21ミリ有るので、20ミリ幅では足りません。
20ミリ幅のヒノキ材に2ミリ幅のヒノキ材を接着し、幅22ミリの板を作ります。
柱と柱の間は21ミリですが、微妙にサイズが違いますので、板を少しずつ削りながら隙間のできないように貼り付けます。
長い方の板は敷居の溝にはめ込み鴨居材の方に倒し、接着します。
外しておいたもう片方の鴨居材を取り付けてみました。
鴨居の下はこのままでは引き戸の雰囲気が出ませんので引き戸を作ります。
幅10ミリ、厚さ1ミリの板を25ミリの長さに切り出します。
立体感を出すために木端をウエザリングマスターのススで汚します。
引き戸部分の右側に貼り付けます。
一面が完成しました。
全面完成。
図面の黄色に塗られた部分が令和エリアです。
綠色に塗られた部分は締め切られた引き戸で江戸エリアとの通行はできません。
紫色の箇所だけ引き戸が無く、通行が可能となっています。
作っていてドラゴンクエストを思い出しました。
城やダンジョンでは隣の部屋が見えているのに簡単には行く事ができません。
大きさがイメージできるようにフィギュアを置いてみました。
大人の男性のフィギュアは21.6ミリで、実寸に換算すると身長177センチです。
一層の柱を立てます。
まず、作業台とスペーサーを作ります。
写真左が作業台。4ミリ幅、厚さ1ミリの板を5ミリ角の角材で挟んで有ります。
中央に幅1ミリ、深さ1ミリの溝ができます。
写真右が鴨居材を貼り付ける時の溝を作るスペーサーです。
4ミリ幅、1ミリ厚の板を4ミリ角の角材で挟みます。
作業台に柱の芯材を立てます。
芯材の両側に5ミリ幅、2ミリ厚、長さ25ミリの角材を両側に貼り付けます。
この25ミリは引き戸の高さで1層から5層まで共通です。
接着が完了したら作業台から抜きます。基部の飛び出た部分がホゾになります。
芯材をスペーサーで挟み、長さ13ミリの角材を両側に貼り付けます。
スペーサーを取り外して1本完成。
このへこんだ部分には写真右のように鴨居材を両側から貼り付けます。
1層分、92本の柱が完成しました。
取り外しておいた梁のホゾ穴に柱の芯材を通します。
柱の基部のホゾを床のホゾ穴にはめ込み、接着します。
柱上部と梁は少し離しておきます。
柱上部の芯材に接着剤を付け、梁を降ろします。
梁が浮き上がらないように重しを乗せ、接着が完了するまで待ちます。
接着が完了したら、飛び出た芯材をカットします。
この後、鴨居材を貼り付け、間仕切りを作ります。
一層の敷居を敷き終わりました。
これから、梁を作っていきます。
梁はたくさん有るのですが、全部表現すると部屋の中が見えにくくなりますので、柱と接する部分だけとします。
敷居に空けたホゾ穴に幅5ミリ、厚さ1ミリのピンを立てます。
ピンを挟むように幅5ミリ、厚さ2ミリの板を置き、洗濯ばさみで固定します。
ピンとピンの間の隙間に幅5ミリ、厚さ1ミリの板を接着剤を着けて挟み込みます。
一列完成しました。
江戸エリアと令和エリアの堺は引き戸が閉め切られた形になります。
この堺以外は引き戸が無いのでホゾ穴とホゾ穴の間は1ミリ角の棒で埋められていますが、堺の部分は後で引き戸を作るために埋めてありません。
ピンを正確な位置に立てるためにマスキングテープで印を付けました。
このテープとテープの間にピンを立てます。
全部貼り終わりました。
ピンを引き抜き、床から外します。
次は柱です。
92本分の材料を切り出しました。
名古屋市の木造天守閣構想は問題山積でいつ実現するかわかりませんが、せめて模型でバーチャル天守閣探訪を試みようと思います。
こんな天守閣が有ったらいいな、という願望を一杯詰め込んでみます。
制作の参考にする図面は、名古屋城総合事務所蔵「昭和実測図」を使います。
一般的に城の模型は外観だけで内部を見られるものはほとんど有りません。
今回作る天守閣模型は、5層を積み上げる構造で、各層の内部を上から眺められるように作ります。
1層から4層までは身舎(母屋)の部分を「江戸エリア」と「令和エリア」に分け、令和エリアは現在のコンクリート天守のように博物館的機能を持たせます。
以下の黄色く塗られた部分が令和エリアです。大きな黒い穴はエレベーターシャフトです。
江戸エリアは引き戸は全て取り払われていますが、令和エリアは綠色で塗られた部分の引き戸が閉め切られ、江戸エリアと令和エリアは行き来ができません。
ただ一カ所だけ、紫色の部分は引き戸が無く、江戸エリアと令和エリアの行き来が可能となっています。
基本構造は昭和実測図のとおりですが、エレベーター用の大きな穴とこの部分の梁が無い事だけが違います。
柱は1本も省略せず、一つの部屋を分割する事も有りません。
城マニアの人で天守閣内でエレベーターなんか見たくないと言う人は、令和エリアを全く見る事なく観覧する事ができます。
江戸エリアを観覧中にトイレに行きたくなったり、真夏の猛暑での観覧で熱中症になりそうになった時は、紫色の出入り口から令和エリアに入り、エアコンの効いた部屋で休んだり自動販売機で経口補水液を買う事も可能です。
一層
前回作った模型は軸組模型でした。
中の部屋まで図面どおりに忠実に作成してあるのですが、太い柱や密集した屋根材に遮られて中がよく見えません。
今回の模型は各層を分離して内部が見られるタイプにします。
重箱のように5層を積み上げます。
構造は軸組模型と同様で、縮尺も同じ82分の1です。
身舎(母屋)と呼ばれる部屋の周りを入側(武者走り)がぐるりと取り囲む構造になっています。
では、作成開始です。
床材として、4ミリ厚のシナベニヤを使います。3ミリでも良かったのですが、あいにく4ミリしか有りませんでした。
昭和実測図のとおりに鉛筆で敷居の線を引きます。
敷居は2ミリ幅、厚さ1ミリのヒノキ棒を1ミリの間隔を空けて2本平行に床板に貼り付けます。
曲がらないように3ミリ厚のアクリル板をガイドにしてまず1本貼り付け、厚さ1ミリのアクリル板を挟んでもう1本を貼り付けます。
柱が立つ部分5ミリの幅を除いて1ミリ角のヒノキ棒を2本の棒の間に貼り付けます。
1層目の敷居が完成しました。
5ミリ幅の穴は柱を立てる時のホゾ穴になります。
木造天守閣の第二弾を計画しています。
一昨年に作った天守閣は軸組模型でしたが、今度はリアルさを追求してみます。
完成イメージは、天守閣内に展示されていた模型をお手本にします。
形だけの張りぼてでは無く、中身がぎっしり詰まったものを計画しています。
サイズは一昨年に作った軸組モデルと同じ82分の1で、室内はヒノキ棒、壁や屋根はスチロールボード等で作ります。
細部の作りを調べるために軸組モデルを見ていましたが、窓が窓に見えないので取り去る事にしました。
ちょっとすっきりして内部の柱や階段も見えるようになりました。
5階の屋根が完成しました。
大棟の上に金鯱を乗せれば完成です。
鯱は姿は魚で頭は虎、大棟の両端に取り付けられ、天守の守り神となっています。
天守が火事の際は口から水を噴きだし火を消すとされています。
夫婦一対で、北側が雄で南側が雌です。
雄の方が少し大きく、口の開きが少し大きめです。
創建時に使われていた金は、慶長大判にして1,940枚分、純金量に換算すると218kgに相当します。
尾張藩の財政難の時にはこの金が使われ、代わりに純度を落とした金が貼り付けられました。
これが3度繰り返されました。現在は18金の金板が88kgで、純金量換算で66kgしか有りません。
この実測図や写真を撮るために足場が組まれていたのですが、この足場を利用して金の鱗58枚が盗まれています。
その後金鯱はどうなったかと言うと、戦災で天守閣が焼失した後、6.6キロだけ溶解状態で焼跡から発見され、金の茶釜と名古屋市旗の傘頭に作り直されています。
ですから現在の金鯱には元々の金鯱の金は使われていません。
名古屋城総合事務所所蔵
細工が細かくなると木の端からポロポロと崩れてしまうので、ヒノキ材で作るのは断念、既製品を使う事にしました。
海洋堂製のフィギュアです。さすが海洋堂、細工が細かいです。
サイズは若干小さめです。
エポキシ系接着剤でくっつけます。
金ピカで無いのでヒノキ材とマッチしています。
完成です。
東面
石垣は詳細な図面が入手できたら考えてみたいと思います。
1階から4階までの窓は壁に穴が開いていて格子がはまっているだけですが、5階の窓は意匠が凝らされています。
まず窓を作ります。
いよいよ棟上げです。
棟持ち柱と母屋を乗せる柱を立てます。
本当は棟木を乗せてから屋根などを作って行くのですが、南面の破風板と北面の破風板の間隔が正確にわからないので、棟木と母屋を乗せるのは破風板を取り付けてからにします。
金城温古録には、2階から4階までは畳の数だけ書かれており、何も置かれていなかったと書かれています。
しかし、5階だけは特別で、詳細な記述が有ります。
どうやら5階は何らかの儀式に使われていたようです。
1階から4階までは天井が無く、梁が向きだしですが、5階は黒漆塗りの豪華な格天井が有ります。
5階は各部屋に部屋名が有り、階段の有る部屋が四の間、階段を出た所から反時計回りに三の間、二の間、一の間となっています。
部屋と部屋の仕切りは無く、素通しで有ったと書かれています。
一の間には大・中・小の櫃(箱)が置かれていました。中身は不明です。
二の間には御祓い棚が長押の上に設けられており、尾張三社の御祓箱が置かれていたようです。
三の間には、御天守見通絵図、御天守方角板、遠眼鏡などが置かれていました。
四の間には御用人が着席するとあります。
遠眼鏡が有ると言う事は、5階の窓は展望窓で、藩主はここから城下を展望していたと言うことですね。
入側(武者走り)には東西南北に各一つずつ窓台が置いて有りました。
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